▼【米沢の史跡】 千眼寺2012/07/11 10:55 (C) 上杉時代館の「直江兼続公」講座(別館) - 山形県米沢市
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▼【米沢の史跡】 千眼寺2012/07/11 10:55 (C) 上杉時代館の「直江兼続公」講座(別館) - 山形県米沢市
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平林城主を務めていた色部長真(いろべながざね)は、上杉謙信公の急逝後の上杉景勝公と上杉景虎の家督相続争い 御館の乱 が起きると、領内の揚北衆(あげきたしゅう)をまとめ上げいち早く上杉景勝公側に付きました。
その後上杉家会津120万石移封、米沢30万石減封では、上杉家の重臣となり家臣団の揚北衆を従えて金山(山形県南陽市)、窪田(山形県米沢市)に入り、上杉景勝公、直江兼続公の命を受け領地を接する山形の最上義光に睨みを効かせました。千眼寺は菩提寺として色部家と行動を共にし米沢に移されています。
山形の最上や高畠の屋代庄に対しての上杉の北の塞だった「千眼寺」。
「保呂羽堂(ほろはどう)」には、近郷の農民が虫害で困っていた時にお堂の縁の下の土を畑にまいたら虫がたちまちいなくなったという言い伝えが残されています。そのため今でも6月4日には「虫除けのお札」が出され、12月4日には収穫した米で餅をつき奉納されています。
千眼寺の地図
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【大河ドラマ 八重の桜】 米沢にも暮らした八重
福島県 八重をもっと知り隊 事務局
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上杉時代館の「直江兼続公」講座(本館)