▼肘折温泉開湯1200年『ひじおりの灯』点灯中2007/07/24 09:44 (C) 美術館大学構想
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■写真上(※写真をクリックすると拡大画面で見られます)
7/13(金)の夜から山形県最上郡の肘折温泉で点灯している芸工大オリジナルの灯籠『ひじおりの灯』(直径70cm)。みかんぐみの建築家・竹内昌義准教授デザインによる八角形の木組みに、本学日本画コースの院生たちが現地で取材したスケッチを描きました。(詳しくは最新の『g*g』に特集されてます→http://gs.tuad.ac.jp/gg/index.php)撮影/JEYONE
■写真下:『肘折絵語り・夜語り』(7/25 19:00〜)の様子。灯籠絵を描いた19人の日本画コース生たちが、23軒の旅館の軒先に吊られた灯籠の下で、それぞれが表現した肘折を語った。温泉客や地域の方々など約90名が参加し、幻想的な夜の光に照らされた、古き良き温泉街の散策を楽しんだ。道案内は森繁哉教授と赤坂憲雄大学院長。そぞろ歩く一行に、各旅館の旦那衆から振る舞い酒も。
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20代前半の4年間を過ごしたバンコクでは、よく仕事の休みを利用して、郊外のバスターミナルから各地方へ走る長距離バスに滑り込み、タイの田舎を旅しました。
そのなかでも「イサーン」と呼ばれる、タイの貧しい東北地方を巡る旅の途中で訪ねた、畜産飼料用の塩づくりを生業とする集落は忘れられません。
濃度を高め、強烈な日照りで塩を結晶化させるための塩田が、見渡す限り広がっていて、その中心にボツンと、5件ほどの家々と、小さな塩の製錬所がありました。
灼熱の日差しを受けるトタン屋根の工場内は薄暗くて、木製の巨大な桶の中に、湿り気のある塩が大量に積み上げられていました。
塩田で水浴びをする子どもたち。半裸に麦わら帽子の工場の男たち。塩の山。
巨大都市バンコクの喧騒から遠く離れた、名もない塩の集落は、僕の東南アジアのうだるような熱気に支配された4年間のタイ生活で、もっとも鮮烈な風景として脳裏に焼き付いています。
もちろんその風景は、背景にある東北タイの貧しさとか、稲作を捨て先祖伝来の土地を塩田にせざるを得なかった人々の苦しみを抱えているのですが、自分の生きてきた「世界」とは隔絶したところで、それ自体完結した白と、光と、熱と、塩と、水が織りなしていたその光景の純度は、僕にパゾリーニの映画のような神話的かつ悲劇的な美しさを想起させたのです。
と同時に、枯れ切った土地で、「どこにも行かない」ことと「どこにも行けない」ことに同時に傷つきつつ、静かに黙々と塩をつくる人々の姿は、外国で異邦人生活を楽しみ、気ままな旅を続けていた僕に、「お前は何故ここに来たのか」「お前はどこに行こうとしているのか」と、厳しく問いただしているような気がしました。
僕の脳裏に焼き付いたのは、ひょっとするとこの「声」の方なのかも知れません。
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国道13号から舟形町を抜け、美しき最上川を渡り、万年雪を冠った月山を眺めながら急勾配の峠道を一気に下っていくと、えぐったような谷間の行き止まりに、肘折温泉が、ぽつねんと佇んでいました。
赤坂憲雄先生に、「東北ルネサンスプロジェクトの一環として肘折にアートのイベントを仕掛けてみたい」と、はじめてここに連れられて来た時、新しい芸術作品を持ち込むのではなく、既にそこに重層した土地の記憶のようなものを、「忘れないように記憶に留める」ための仕組みづくりをしたいと思いました。
23基の灯籠は、隔絶されたこの深い谷の集落でこそ、増幅される光と闇と絵画のオーケストレーションを生み出しています。
これは、その地に住んでいる人々が、若い画家たちの眼差しを通して暗闇に浮かび上がる肘折の情景に、毎夏、「土地の声」を聴くための装置なのです。
宮本武典/美術館大学構想学芸員