▼西高玉稲荷神社 90年前の記名2024/10/28 09:20 (C) 獅子宿燻亭10
▼新獅子発見?夜獅子と練習獅子の間にある獅子頭も西高玉の獅子ですか?
初めて見ました。
2024/10/28 14:06:写真屋太郎
▼目ざとい!コメントありがとうございます
この獅子頭について以前ブログでご紹介したと思い、触れませんでしたが 西高玉の金田某氏が制作された獅子頭です。数年前その、ご親戚の方から 同様の獅子を獅子宿に寄贈していただきました。神社の獅子はヤク毛でし たが、獅子宿に展示した獅子は自毛の白髪を取り付けたものと聞きます。 耳が長く夜獅子をモデルに制作したのでしょうね。 西高玉稲荷神社に寄贈された獅子 記名を見ますと神社の獅子には2003年4月、獅子宿の獅子は2003年1月と あり、最初の制作は自宅に残した物なのでしょう。最近、獅子頭の後見人 の問題を良く聞きます。無沙汰に出来ないものだけに獅子頭の行末の問題 も多くなりました。 獅子宿に展示されている獅子 2024/10/28 15:07:獅子宿山人
▼昭和9年は大凶作郷土史を見てみたら昭和9年はその時代稀に見る大凶作だったようです。
気象の異常さも現実味が増してきますね。 凶作大凶作豊作大豊作 定義は分かりかねますが一般的にこの地方で はいずれかに認識される年が昭和期には何度かあったそうです。 特に30年は大豊作で契約講の記録にも笑和産重稔との当て字が見られ ます。。ちなみに和は米が口に入ることを表しているため秋の実りや 豊穣といった農家にとっては目出度い漢字なんですね。 詳しくは蚕桑の郷土史に載ってあり(凶作被害 当年の気象など) 市立図書館で閲覧可能です。 2024/11/03 13:23:昭和9年研究家
▼4月下旬の積雪専門ではないかもしれませんが、当地の4月の1メートル近い積雪は
昭和期には珍しくなかったのですか? 気象も数十年周期で変わり寒暖繰り返してるためその頃丁度寒期 だったとも考えられますかね? 2024/11/03 13:37:昭和9年研究家
▼昭和九年の謎 昭和九年にまつわる貴重なエピソードありがとうございます。
昭和初期の寒冷化や現代の温暖化、その変化で我々は一喜一憂している 訳ですね。 記事にも書きましたが、奇遇にも最上川対岸の雷神社でも獅子頭が奉納 されています。 笛の音色も似ている両神社の黒獅子舞ですが、何かの因果関係があるので は?と勘繰ってしまいます。またそんな大飢饉の年に現代人を悩ます達筆で 何を訴えたのかが知りたいものです。 それでは、手始めに蚕桑の郷土史を調べさせていただきます。 2024/11/05 17:01:昭和九年の謎記名研究家
▼蚕桑の郷土史発行は50年〜60年近く前だと思いますが、質 量 取り上げた題材の幅広さ
編纂期間 編集団 どれをとっても当時一流だと思います。 昭和中期頃までの各家庭の歴代の当主の一覧まであり金田徳次氏の名も見られます。 その他金田某 佐藤某 児玉某など稲荷神社の神前幕に書かれている当時の主だ った氏子の名前も見られますね。 また多少ではありますが西高玉の獅子舞についても記述がありました。今後の獅子 舞文化の研究が進むことお祈りします。 2024/11/06 07:55:昭和9年研究家
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本年も10月19日20日と白鷹町西高玉稲荷神社の秋祭りに獅子舞も開催された。
日没後、最近の暖気から一気に気温が下がり10°C以下になり吐く息も白い。
昨年は同所小口家がお休みの獅子宿となり、今年は昼の獅子頭を寄贈した金田
家にお休みすることになりお邪魔することになった。お酒や料理の振る舞いも
豪華なのだが、お休みが終わり出発の際の獅子舞が見ものである。
座敷に安置した獅子頭を一旦外に出し幕に入り、座敷に車座になっている金田家
一人一人に歯打ちのご信心を草鞋を履いたまま膝で行う、他所では見る事の出来
ない西高玉独特の美技である。また重い獅子頭を10分近く一人で持ち続けるのは至難
の技だ。今回はその技を二回繰り返し、深い謝辞を獅子舞で表していた。
金田家に訪れる前、神社に御神酒奉納と参拝に訪れると、お宮番の方たちが談笑
しながら拝殿に詰めていた。
拝殿には、前夜祭に使用した夜獅子とガラス張りの獅子箱に稽古獅子が安置されて
いた。この夜獅子は平成19年に当工房で制作した獅子頭である。
視線を移すと獅子箱の稽古獅子の後に文字が見え、許可をいただいて見せてもらっ
た。しかし達筆すぎて解読できる文字はほとんどない。
「昭和9年(1934)4月19日(社内庭内積雪三尺)於祭礼ニ □□」
なんと90年前4月19日の祭礼日に90cmの積雪があったとある。
原典:気象庁「天気図」、加工:国立情報学研究所「デジタル台風」
ネットでその日の天気図を探すと出てきたが、それが90cmの積雪を記録したかどうか
天気図を分析する術がない。
獅子箱については下部に20cm程の台座があるデザインは他にも幾つか記憶がある。
最近では畔藤の雷神社に一対所蔵され、同じ昭和九年である。同じ畔藤の熊野神社や浅立
の諏訪神社の神輿庫でも見た。
この獅子箱の裏書きについて後日、天童の野口一雄氏に解読を依頼すると、この様な暫定的
な分析をいただいた。
昭和九年四月十九日 社内庭内積雪三尺
於祭礼ニ於テ
銘誌
昭和九年春塚
没地? 可如天?述へ
挙て?地?除地?除〔はら〕へ
把〔とる〕さ?い? 慶二
なんとも難解な裏書きだろう・・・昭和9年に江戸期の様な文字を用いたのか謎である。
補足
2003年に寄贈された獅子頭についてメモが出てきた。
白鷹町西高玉 稲荷神社の西 金田徳治の作 獅子頭
金田徳治さんは小学校卒業後満州に渡り満州鉄道に従事しシベリア抑留された。帰国後
長井市五十川から西高玉へ婿入りし、長井市平野新和ボーリングに勤務した。2003年
一念発起し初めて獅子頭を制作した。雅号「西州」100歳で没。姪に当たる長井市五十
川 菊池とくさんから徳治氏宅の解体の為、獅子頭の引き取りの話を受け、獅子宿に
安置する事を承諾した。(令和3年5月27日10:00〜)獅子頭は小振りで、すぐ近くの
西高田玉稲荷神社の夜祭りの耳の長い獅子頭をモデルにしたものと鑑定している。