▼日曜随想12月分2010/12/08 19:02 (C) Planning Kaori 浅倉かおり
▼こころに残るkaoriさんの言葉は
いつも心に染み入ります ありがとう(^^) ご苦労様でした。 2010/12/09 09:31:だんぼ
▼1年間おつかれさまでした。日曜日は実家に行って山新を読むのが最近の習慣になっていました。
母が「今日は浅倉さんの回だったよー」とか教えてくれたりして。 特に家作りの回の新聞は大切に保存してますよ!(笑 これからもいろいろな媒体で浅倉さんの文章に出会えるのを楽しみにしてます♪ 2010/12/09 14:24:komuten-kaori
▼感謝を込めて☆>だんぼさま
すべての上に人間がいる、 というような おごりのない社会を願いつつ、 不思議がいっぱいの 地球を楽しみたいと思います。 ありがとうございます。 >komuten-kaoriさま お母様まで気にかけてくださって、 本当にありがとうございます。 家づくりでは、 本当にお世話になりました。 4年経ったいまでも ほんのりと木のかおりがして 癒されています。 2010/12/10 22:34:kaori
▼お疲れさまでした〜共感します。
こんな文章を見つけました。 老子が非常に愛した物語だそうです。 前略 〜あなたは判断にとりつかれている〜 〜その事実だけを言えばいい これが不幸か、祝福か、誰も知らないのだ。 生は断片のままやってきて、 それ以上は決して与えられていない〜 ※一部分を抜粋しています。 丁寧に生きて行こうと思っています。 ありがとう〜 2010/12/23 10:29:konta
▼>kontaさま>konta さま
すてきな文章をありがとうございます。 何ごともジャッジしない。 二者選択しない。 二元論で考えない。 善悪闘争をしない。 師匠から教わったさまざまなこと、 日々実践できたらと思います。 いいイヴをー☆ 2010/12/24 10:31:kaori
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山形新聞で連載していた日曜随想。
1月からスタートして12月が最終回。
ちょうど10本書かせていただきました。
お読みくださった皆様ありがとうございました。
引き続き、月刊zero23で連載中の
「浅倉かおりのオシゴト日記」は続きますので、
コンビニなどで立ち読みしてください ^^
12月の随想について、
いつもお世話になっている美容師さんが
mixiでありがたいコメントをアップしてくださいました。
ありがとうございます☆
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1634901171owner_id=6137377
・・・・・・・・・・・・・・・
「地球の暮らし方考」
「家の中で一番えらい人は?」と聞かれたら、
ご先祖様と答えるだろう。
子どもの頃、炊飯器の中でツヤツヤに炊きあがったご飯を
真ん中からすくってみたくて、
「もう食べていい?」と聞くのだが、
返事はいつも決まって
「ちょっと待って。仏壇にご飯あげてから」だった。
家に届いたおみやげの菓子折りも、
見たことのないきれいな包装紙の中身が気になって
「ねぇねぇ開けていい?」と聞くと、
返事は必ず「だめだめ。まずは仏壇にあげてから」。
いまでも実家に帰ると、
まずは仏壇に手を合わせる習慣がついている。
昔は、よその家に行ったときも、
最初に仏壇に挨拶したものだそうだ。
小学6年生の頃だったか、
家の本棚で『古事記』を見つけ夢中で読んだ。
人間がつくりだした神話とはいえ、
仏様のほかにものすごい数の神様がいること知り、
この世界は何かとてつもない存在によって
構成されていると思うようになった。
やがて大人になり、アニミズムという言葉を知る。
万物に霊魂や精霊が宿るという考え方だ。
以前「山形はまるごとパワースポット」というタイトルで
山形は八百万神を信仰できる土地と書いたが、
万物の依代は樹木や石にとどまらず、
あらゆる物事、現象も含む。
大きく捉えれば、机も車も食器も衣服も御神体なのだ。
先日、山形県立博物館の企画展
『縄文のキセキ』へ行って来た。
土偶が作られた理由は、
祈りやまつりごとの道具という説が主流だが、
詳しいことは分かっていないらしい。
エジプトのピラミッドやナスカの地上絵しかり、
この星は、未だ科学や医学で
解決できない状態や事柄がいっぱいだ。
原因不明の病気も少なくないし、
医者にNGと判断されても完治する人だっている。
人類が誕生以来、
人は生まれては死に土へ帰るを繰り返し、
さらに太古の昔から、
あらゆる生物や物質が
地球上で有になり無になってきた。
それらの遺伝子のわずかなひと粒が、
私の身体のどこかに
組み込まれていても不思議ではないし、
何十代も前のご先祖の想いが
周りのあちこちに浸透している可能性だってあるだろう。
長い歴史の中で、
すべてを内包し受け継がれてきた命の波動は、
とんでもなくパワフルで寛大で慈愛に満ちているはずだ。
誰もがぽんと存在しているのではなく、
みんながどこかでつながっている。
全体であり部分であると考えられたら、
支配も所有も搾取もいらない。
人や物を粗末に扱うことも、
戦争すらもなくなるのではないだろうか。
今年もまもなく終了だ。
これから私自身が心がけたいのは、
私という一個人の身体と精神を大切にすること。
それと同時に、地球人として、
一つの生命体としてどう在りたいかを内省すること。
計り知れない自然界や宇宙の摂理に対して、
畏敬の念と謙虚さを忘れないこと。
時々こんな物語を思いだす。
「おじいさんが庭に来た鳥に餌を与えたら、
やがてたくさんの鳥が集まるようになりました。
餌をもらえる鳥はよろこびましたが、
ある日おじいさんが亡くなったら、
鳥たちはすべて死んでしまいました」。
一方、アメリカの先住民たちは、
「どのようなことも、七代先の子どもたちを考えて決めよ」
という言葉を残している。
自分自身の喜びを精一杯追求しながらも、
一時の成功や富を求めることなく、
大局的に判断できる人間でいたい。
日々の中では、重曹、石けん、布ナプキンを使って
ネガティブな負荷を減らしたり、
地産地消の食生活、
誠意を持って作られた商品を選ぶなど、
出来る範囲のことしかできないけれど、
勇気と素直さと遊び心と感謝の気持ちで
環境活動に取り組んでいけたらと思う。
このコーナーの担当は今回が最終回。
順番が近づいてくるのが楽しみで、
あらためて自分自身の考えを振り返る機会にもなりました。
この一年間に心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。