▼最上義光に仕えた二人の土肥半左衛門 【さいごに】2012/01/29 16:04 (C) 最上義光歴史館
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▼最上義光に仕えた二人の土肥半左衛門 【さいごに】2012/01/29 16:04 (C) 最上義光歴史館
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【さいごに】
ここに、最上義光に仕えていた、二人の土肥半左衛門についての考察を試みた。その基となるものは、その多くは世間に流布している軍記類や、他家に伝わる家伝の類いであろう。その中で多分に信の置ける[土肥家記]が、この考察の根底を為すものであった。
多くの最上時代の分限帳などを見ると、「高千石・高弐千石」の禄高の記載があるが、これはいずれの半左衛門を意識してのことなのか。
義光から死を賜わったとされる増田土肥の半左衛門の、最上時代の足跡を知る手立ては全く見当たらない。一方、「土肥半左衛門ハ其元下対馬守ガ与力也、此頃ハ与力組頭トナリテ丸岡砦ニ在番セル人ナルヘシ」に代表されるように、最上時代の足跡を残していたのは、越中土肥の半左衛門であった。
軍記類の中の半左衛門を見るように、讒により切腹したとか、他国への逃亡説とか、義光の追手を受け殺されたとか、まさに諸説紛々たる様相を表している。しかし、その真実は一つである。蜘の糸のように絡まった半左衛門像を、ここに少しは解きほぐすことができたと思う。
おわり
主な参考文献
土肥家記(金沢市立玉川図書館)
鶴岡市史・古代中世史料
山形市史・史料編l
最上四十八館の研究(丸山 茂)
悲劇の回り舞台(小林 隆)
新潟県史・江戸時代編(上)
村上市史・通史編2
戸沢家中分限帳
最上義光 (小林 隆)
新発田市史・上
三条市研究・6号
新発田藩史料
増田町郷土史
大泉史苑・1号
大蔵村史
温海町史
風雲天童城 (渡辺克司)
奥羽軍談
六郷の歴史
大泉紀年
筆濃余理
越佐叢書
上市町誌
■執筆:小野未三
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