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▼寿命

 あけましておめでとうございます。昨年中は皆様方には大変お世話になりました。今年もよろしくお願い申し上げます。
 この院長ブログを時々見てくれている人がいるのを知って、とてもうれしく思います。いつも書きたい放題なので、少し反省してまともなことを書かなくてはと思います。しかし、今回は正月ボケで頭が回りません。ズルをさせていただいて昨年秋に山形県医師会会報の筆硯に寄稿した文章を転用させていただきたいと思います。この文はなぜか熊本県医師会の会報にも載せていただきました。この場を借りて感謝申し上げます。

            「寿命」
 地球の寿命は、あとどれくらいあるのか。インターネットで調べてみるとインチキな占い話は別にして、数億年から40億年位のようです。真実はだれにもわからない。
 人間の寿命も同じです。しかし、世間の人は、「医師は患者があとどれくらい生きるか知っている。」と本心で思っているらしい。「うちの人はあとどれくらい持ちますか。」と真顔で聞いてくる(尋ねたくなる気持ちは重々わかるが。)。心の中で「神様じゃないからそんなのわかるわけありません。」と言いながら、「あとこのくらいでしょう。」と、自分が思っている余命の半分の時間を口に出して言う。医師ならそんな経験は、多くの人が体験していると思います。馬鹿正直に自分の思っているその人の余命を言ってしまった場合、その人が自分の予想余命の前に亡くなってしまうと、その本人、家族から恨まれる。自分が思う半分の余命を言って、それ以上存命すれば、本人、家族ともに「医者が言った以上に生きることができた。」と納得して本人は死に着き、また家族もその本人を送り出せる。医師は半分でたらめを言っているようなものです。
 「いつ治る?」も患者からよく聞かれる言葉です。めったなことは言えない。「2週間くらいでしょう。」と言ったら、数か月後に知らない弁護士から電話があり、「あの患者は2週間で治るとあなたに言われたので、大事な商談をその後に設定したが、病気が治らずに破談になり損害を被った。あなたを訴える。」との事で、損害賠償を支払ったという話も聞いた事があります。そんな時には「一般的には」を強調して平均的な治癒期間を言わなくてはいけない。 
 手術にしてもしかり。手術をすれば100%治ると思い込んでいる患者は、手術の結果90%改善しても残りの10%で医師を恨むという事が最近は特に多くなったような気がします。「このやぶ医者!」ということになる。100%治ると思っていても「五分五分です。」と説明しておけば、同じく90%改善すると先生は名医だという事になる。最近私はほとんどメスを執らなくなったのでよくわかりませんが、今の外科医は起こりうる合併症を術前にすべて説明しておかなければならないので、説明を受ける患者が不安になって手術をあきらめる事も多いと聞きます。ただでさえ医者は忙しいのに無駄な時間を費やしたことになる。
 医者が正しい事、本心を言えないゆがんだ医療環境が今の日本です。日本の医療はつくづくおかしな方向に来てしまったと思います。この現状は絶対に正しい方向に矯正しなければならない。毎日の外来をしながらついこんなことを考えてしまうのは、私が医療を楽しいとは思っていないからです。私の持論は「楽しくなければ仕事ではない。」ですが、今の私は正反対を行っています。
「地球の寿命はあとどのくらいあるのか。」なんてことを考えるほうが、実に楽しい夢のある話です。村山斉著「宇宙は何でできているのか」1)の中でも地球の寿命は語られていました。この本によれば、太陽はどんどん膨張を続け45億年後には地球を飲み込んでしまうほどの大きさになるとの事ですので、地球はどんなに長くても45億年後には存在していないのです。
 氏の本は地球の寿命が本題ではなくて、物質が何でできているかを知れば、宇宙がわかるという主題で書かれています。物質は、電子と、素粒子でできていてまだまだ研究段階であるという事、理論的に説明できないことがよくあって、そのあいまいさをあいまいさとして残しておくと、さらに解明が進むという事が書いてありました。とても面白い。この本を読んでいて、藤原正彦著「国家の品格」2)の中で「論理を徹底すれば問題は解決するというのは間違いであって、論理だけでは国家は波状する。」と書かれていたのを思い出しました。また、1931年数学者クルト・ゲーデルによる「不完全性定理」の証明によって、どんなに立派な公理系であっても論理的に判定できない命題が存在するという事がわかったともその本に書いてありました。
 そうであるから、この世界はすべてにどちらともいえないあいまいさは必ず存在するのです。医学でも同じです。そう考えると「楽しくない。」なんて思わずに、日常診療でも適当に答えておくのがいいかとも思えてきます。
 話は変わりますが、今や日本人は世界で一番長寿になり、平均余命は80歳以上にもなります。だから、60歳、70歳はまだまだ元気なはずだと勝手に思い込んでいる人がとても多いのを外来で感じています。体力が落ちているのに40代、50代と同じことができると勘違いして仕事、運動を続けあちこちが痛くなって「なぜだ?」と外来を受診します。「病気じゃないですよ。」と言っても納得しません。
 4,5年前の厚生労働省による日本人の体力測定で、60歳男性は20歳の60%にまで、60歳女性は20歳の65%まで体力が低下するという結果が示されました。男性の場合は年齢とともに直線的に体力が低下し、女性の場合は40歳を過ぎるとこれもまた直線的に低下しました。60歳以降は男女ともそのまま直線的に体力が低下していきます。これはスポーツクラブに所属して体を鍛えていようがいまいが同じ結果でした。
 私自信このことを強く実感しています。私は柔道三段で50歳前までは腕立て伏せ100回、腹筋500回はできました。それがどんどんできなくなって、今では腕立て伏せ30回もしようものなら不整脈が出ます。
 織田信長が桶狭間の戦いを前にして「人生五十有余年…」と「敦盛」を舞ったのは400年前以上前の事です。その頃は40歳代の侍が「おれはまだできる!」と言って戦場に行ったら若侍に組み敷かれて首をはねられたなんてことは多かったのではないでしょうか。ちなみに織田信長は49歳で、宿敵上杉謙信も同じ49歳で亡くなっています。50歳過ぎたらもう余生です。つい5、60年位前までだって60歳になったら「よくぞここまで生きた。」と赤いちゃんちゃんこを着せられて喜んで、その後数年面倒を見てもらって死んでいくのが普通でした。日本人の体格は大きくなりましたが、今だって体力の低下の仕方は400年前と全く変わっていないのです。
 日本人が80年以上生きるようになったのは医学が世界で一番といっていいくらい進歩し、日本人を死なせなくなったのと、ものすごく増えた歯科の先生方が歯をきちんと治療し、歯がなくなれば入れ歯にしていつまでも「ばくばく」と食物を口から摂取できるようになったからです。けして日本人が丈夫になったからではありません。私の外来で「なぜだ?」と鼻息を荒げるおじさん、おばさん、あなた方はもう若くないのですよ。
 老化のスピードは昔と変わっていないのに寿命ばかり延びたので、脳の老化による認知症と体力の低下によるロコモティブシンドロームによって、介護されないと生活できない期間が昔と比べて非常に長くなりました。介護されずに健康に生活できる期間を健康寿命といいますが、今年の厚生労働省の発表ではそれは男性70.42歳、女性73.62歳です。平均余命とは10年のギャップがある。病気を治すことに一生懸命に取組み、結果として日本人の長寿に多大な貢献をしてきた日本の医学界ですが、より長寿の社会を目指す前に健康寿命を伸ばし、平均余命とのギャップを埋めることが、ゆがんだ医療環境の矯正とともにこれからの日本医学界の取り組むべき重要課題だと私は思います。
 宇宙は現在137億歳、地球は45億歳、それに比べれば人間の寿命が100歳までになったとしても大した事はない。どうせ短い人生、どう生きるかに力を注いだほうがよいと思います。

1)村山斉著「宇宙は何でできているのか」幻冬舎新書187 2010年
2)藤原正彦著「国家の品格」新潮新書141 2005年


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