▼純粋なるプロレタリアートの死2016/04/21 16:56 (C) FPのひとりごと
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78才だった
年齢は離れていたが 勝手に友達だと思っていた
お互い元気だったころ 毎年2泊3日くらいの旅行に出かけていた
運転手付きのジャンボタクシーが交通手段だったが
『いってきま〜す』というが早いか 秒速でビールが泡を吹いた
完全なる“のんべえ旅行”または“泥酔い旅行”だった
旅行の行程中 素面だったという記憶がない
とにかく朝から晩まで のべつまくなしに飲んでいた
当然 藤原さんも“好き”で 我々にとことん付き合ってくれるのだが
お目付け役である奥様の顔色を窺う様子がとてもかわいかった
夜はベロベロになっての大カラオケ大会と相成るのだが
藤原さんの十八番は『柿の木坂の家』
♪柿の木坂は駅まで三里…♪
聞いたことのない曲であったが 妙に琴線をくすぐられた
顔はいかついのだが 愛嬌があって人懐っこかった
大好きだった
結果的に最後の旅行となった帰りの車中で
藤原さんは数十秒前に自分が言ったことを思い出せなくなっていた
酔いが吹っ飛んだ
その翌日に 私は事故で身体障害者になった
藤原さんは本物のプロレタリアートだった
中学を出てすぐ工員となり 労災で片腕を失った
その後 共産党に入党して 市会議員としても活躍した
絶対に信念を曲げない人だった
人一倍勉強された方だった
我々みたいな俄かコミュニストとは 生き方の重みが違った
『蟹工船』の世界を実際に生き抜いてこられたのだと感じていた
民夫 ・・ いい名前だ
もう不世出の純粋なるプロレタリアート
心よりお悔やみ申し上げます