▼ダリア(天竺牡丹)日記 Vol.302006/05/07 08:58 (C) ダリア日記
▼ナポレオン法典と浮気心ナポレオン法典によって「夫婦や浮気」に対する考え方が大きく変わります。
当時のヨーロッパの貴族社会では、結婚によって「夫が妻に惚れたり」「妻が夫に惚れたり」するのは「育ちが悪い」と言われ、「家名と財産を残す」ために結婚するのであり、子供が出来るまでは夫婦の繋がりが強いが、一旦子供が出来ると互いに拘束しないフリーな関係になったようです。 当然に一定のルールはあるものの浮気などは公然と行われていたようです。しかし、ヨーロッパでは戦争による領土争いが絶えず、また大きく社会が変動する中で、夫が突然犯罪者(謀反人)になり死刑になることがあったために、多くの人と交流することと通し、自分の身や子供の身を守るための安全策を講じていたのかもしれません。 しかし、散々ジョゼフィーヌの浮気に泣かされてきたナポレオンは、この貴族の夫婦観に大きなメスを入れるのです。「ナポレオン法典」では、夫は自宅での浮気は罰せられ、妻はいかなる浮気をも罰されることとなるのです。なんだか男よりの解釈ですが、この夫婦の観は現代にも影響を与えています。 2006/05/07 09:23:tenjiku-b
▼ナポレオンの浮気ジョゼフィーヌは当初、ナポレオンが田舎者で背が低く決して男前でなかったことから、将来を余り期待していなかったようで、いつでも乗り換えられるようにと貴族との愛瀬を繰り返していました。また、イタリアの戦場からナポレオンに呼ばれた時にまで、愛人を連れて行くなどのあからさまな行動にも出ていました。
しかし、ナポレオンが各地で勝ち進みその頭角を表し、将軍にまで上り詰めると浮気をきっぱりとやめ、立派な妻になることを決意するのです。 一方、これまでジョゼフィーヌに一途だったナポレオンが一転して浮気の虫に走るのです。そこには、権力にすがり付きたい女達の野望やジョゼフィーヌに好意を寄せていなかったナポレオンの親族の嫌がらせがあったのです。 執務のほんのちょっとした合間に、スポーツ感覚で楽しみ、また、執務に入ると言ったものでした。 2006/05/07 09:37:tenjiku-b
▼ナポレオンに子供がナポレオンとジョゼフィーヌに子供が出来なかったことが二人の離婚へと繋がります。皇帝にまで登り詰めたナポレオン、周囲の期待は後継問題・子供の待望論が高まる中で。いよいよ数多い浮気(本気)の中で子供が授かることになります。
2006/05/07 13:01:tenjiku-b
▼ためになりますはじめまして(^^)
やっとたどり着きました。さすが博士!お詳しいです!だんだんナポレオンスキャンダルに話が移行してる気が。。。でも続きが気になったりして★ 時期的にお忙しい中、ブログも更新がんばってくださいね 2006/05/12 18:22:おれれ
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ダリアとジョゼフィーヌ
天竺牡丹日記ではナポレオン1世時代のダリアについて取り上げていますが、ダリアがその研究によって大きく変化し、社会に認められる転機が1800年前後のこの時代です。(天竺牡丹日記Vol.23)
花言葉『移り気』(天竺牡丹日記Vol.24)
ナポレオン妃となった「ジョゼフィーヌ」は、パリ郊外のマルメゾンの邸宅にバラやダリアの珍しい品種や各地から集められた草花を植えていました。
特にダリアはお気に入りで、満開のころにたくさんの客を招いて園遊会を開いていました。ある日のこと、侍女の一人が大きく開いたダリアを指指し、「私に分けてくださいな」と言うのです。
しかし、ジョゼフィーヌは決して一輪の花も分けることはしませんでした。
侍女は諦めません。ダリアを手入れする庭師を買収し(金と色仕掛け?)、まんまとダリアの球根を手に入れる事に成功するのです。侍女は手に入れた球根を育て、自分の庭で見事なダリアの花を咲かせるのです。その噂を聞きつけたジョゼフィーヌは、庭師や侍女、関わった貴族を解雇、破門すると共に、急激にダリアへの興味が冷めてしまいました。
このジョゼフィーヌの気持ちの変化が、ダリアの花言葉のひとつ「移り気」の語源と言われます。
庭師は首になり出て行くときに、「花は多くの人に見られ、愛されてこそ本当の花ではありませんか。独り占めされた花は幸せでしょうか」と言葉を残しました。