▼林泉寺米沢・武田家の墓2019/09/14 06:00 (C) Atelier Li-no2
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林泉寺の武田家の墓、林泉寺米沢の中にある武田信清の墓、信清は戦国の名称武田信玄の六男、上杉景勝の正室菊姫の弟にあたる、武田家は天正3年(1575)の長篠の合戦で織田・徳川の連合軍に敗れて1582年武田家は滅んでいる、この時信清は高野山に逃れ、後に姉の嫁ぐ上杉景勝を頼り越後にと向かう、義を重んじる景勝は信清を大事な家臣として迎えている、上杉は会津そして米沢と移封されますが信清も移り、寛永19年(1642)80歳で病死とあります、結構長生きでしたね、信清は上杉家の菩提寺である林泉寺に葬られました、信清の子孫も代々米沢藩に仕え、幕末へと至っている。武田家の墓前に看板があり信清の墓の説明があります、一段と大きい五輪塔です、高さが2,3m昭和28年になって山形県の史跡に指定されてます、かっては川中島で激しく戦った上杉家を頼り、幕末まで上杉家の家臣として仕えたことは上杉家の義に厚い家風を忍ばせますね・・・・