▼浅間山2020/01/05 23:30 (C) Atelier Li-no2
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軽井沢プリンスホテルスキー場ゲレンデから正面に浅間山がよく見える、暮れの30日が小雨、それ以降毎日快晴でした、穏やかに見える浅間山ですが昨年8月に小規模な噴火があり火口から4キロ内に入れない入山規制(レベル3)に引き上げとなってました、現在はレベル1ですが活発な活火山です、甚大な被害をもたらした大噴火は天明3年1783年5月から8月まで活発に活動して7月の大噴火は、日本の火山災害の歴史の中でも特に大きな被害をもたらしたとあります、現在の嬬恋村(旧鎌原村)を壊滅させた土石なだれ、当時の人口の八割が命を失い奇跡的に観音堂にたどり着いた93名が助かっている、地中の村と化した鎌原村は、昭和54年から発掘調査がが行われ、その土石は5から6メートルと村全体が埋まってしまった場所で「東洋のポンペイ」と呼ばれている、石段は当時50段あったが、上から15段を残して土に埋もれてしまい、「天明の生死を分けた15段」として語り継がれてきている、その石段の最下部には女性2人の遺体が発見されていて、遺体の骨の重なり方から背負った人と背負われた人と考えられその悲惨さを知ることが出来、災害について考えさせられます