▼牛谷家の門2020/03/07 06:00 (C) Atelier Li-no2
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いつも素通りしていた川西町の指定有形文化財となる”牛谷家の門”白鷹町に用事でお出かけしたので寄ってみた、この門元々は伊達家の家臣である大塚氏の居城の大塚城の大手門だったもの、天正19年に仙台に移封となると廃城となり、貞享3年(1686年)牛谷家の門として移築されたとある、・・牛谷家というのが代々国人領主的な存在で周囲の開墾や軍事労役を担っていた家系、国人領主は何かというと、在地に独自勢力を持つ武士たちを国人領主または土豪などと呼んでいるひと、藩主から郷土馬上の待遇を受けていたとある、身分によって屋敷の面積や形状も厳しく定められていた時代、現存する門も一般には上級武家以上しか認められていないことから当時の牛谷家の格式がうかがえます、長手門は切妻、茅葺、白漆喰仕上げ北が三間で2つの武者窓付床が板敷と土間、南側に出格子、土間で武芸の練習をしていたとされて江戸時代に建てられた大型の長屋門建築の遺構として貴重なもの、もと大塚城の大手門を移築改造したもの牛谷家がこの地に移築したとあります(川西HP参照)城はこの近くで門以外は何もないですが、伊達家が移封し上杉が入り、城は廃城米の貯蔵場所として使用していたとありその後に移築した門の奥には何があったの??絵図とかあると嬉しいけど昔の風景想像すると楽しい