▼コレラ大明神2020/04/26 23:45 (C) Atelier Li-no2
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移住した窪田町東江股にある春日神社に石碑群がありますが、ここにコレラの終息を祈願して、その死者を慰霊する石碑があると初めて聞きました、赤芝にコレラの石碑があると友人から聞いたことはあったのですが、窪田にもあったのは初耳でした、そんでネットで検索したら米沢市の歴史探訪のとこに載ってました、一部抜粋すると・・日本で初めてコレラが流行したのは文政五年(1822)で安政五年(1858)には江戸だけで20数万の死者を出す大流行があり、明治にもたびたび流行した、石碑が建てられた明治12年(1879)には全国で大流行し、死者10万人、米沢では八月に白布温泉で発生(旅行者から伝染?)、当時は川水の利用が主であり、コレラは下流の小野川・赤芝に伝染して、市街にも蔓延、死者数百人に達した、さらに下流の窪田村にも伝染し、死者42名と記録にある、石碑はこうした状況のもと、コレラの終息祈願と死者の冥福を願ったもの、赤芝羽黒神社に虎列刺菩薩碑、窪田の虎列刺大明神の石碑が建てられた、今日その石碑に手を合わせて現在のコロナの感染終息を願いました、コレラは明治16年にコッホ博士がコレラ菌を発見し、そののちに治療法も発見されて、上下水道の環境整備も進んで現在ではコレラの流行はなくなり石碑も忘れ去られている・・たびたび起こる伝染病ですがコロナもやがて治療法が確立されるんでしょうけど・明治の時代4年かかって菌の発見その後治療法の確立・・医療技術が進んだ昨今いつ決め手の治療法が見つかるのか?今日桜が満開の窪田東江俣の春日神社