ヤマガタンver9 > 双松公園のバラをみてきました 暑さのせいか花がしおれてかわいそうなバラもありました 公園の中腹に南陽市が生んだ児童文学者「須藤克三」の歌碑があります 歌碑には「ふるさとの山は光る 子どもらは太陽を呼ぶ」と刻まれています

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▼双松公園のバラをみてきました 暑さのせいか花がしおれてかわいそうなバラもありました 公園の中腹に南陽市が生んだ児童文学者「須藤克三」の歌碑があります 歌碑には「ふるさとの山は光る 子どもらは太陽を呼ぶ」と刻まれています

双松公園のバラをみてきました 暑さのせいか花がしおれてかわいそうなバラもありました 公園の中腹に南陽市が生んだ児童文学者「須藤克三」の歌碑があります 歌碑には「ふるさとの山は光る 子どもらは太陽を呼ぶ」と刻まれています/

須藤克三は明治39年須藤「多蔵」と「えつ」の3男として、宮内町に生まれました。宮内小学校を卒業すると山形師範学校に進学、卒業すると母校の宮内小学校に勤めましたが、もっと文学を学びたいと東京の高等師範学校進み、昼は小学校の教員、夜は学校で学ぶ生活を送りました。その後東京の出版社に勤めましたが、終戦を前に東京の大空襲にあい、帰郷し地元の新聞社に勤めました。新聞記者をしながらつぶさに人々の暮らしを見つめ、生活つづりかた教育運動へと突き進んでいきました。無著成恭の「やまびこ学校」は須藤克三の教えをうけた本が映画となったものです。

「出稼ぎ村のゾロ」「白鳥になった人形」など数多くの児童向けの本や童話を出版し、南陽市では須藤克三の名を冠した作文コンクール「須藤克三賞」を行い、彼の業績を讃えています。


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