▼館長裏日記 令和5年10月28日付け2020/10/28 09:00 (C) 最上義光歴史館
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正直、私個人としては、連歌どころか短歌すらつくったことがなく、今回の日誌は、「歴史館だより」とネットから拾ってきている記事のコピペばかりです。つまるところchatGPTでできるようなことを手作業(ハンドメイド)で綴ったというところでしょうか。
さて、AIと言えば、将棋の藤井聡太八冠でもおなじみになっていますが、文化分野全般にもAIはしっかりと入り込んできています。作曲、絵画、漫画の領域においても、AI生成による作品について報道されていますが、例えば文芸では、星新一の短編を全て読み込ませ、新たなショートショートを創作したりしています。
北海道大学調和系工学研究室では、俳句を詠む人工知能「AI一茶くん」を開発をしています。その学習データは、小林一茶のみならず松尾芭蕉、正岡子規、高濱虚子らの作品をも網羅。それでも生成した俳句は古臭いものもあったので、現代俳句の四十万句をも取り入れました。文法生成のシステム開発とともに、俳句のチェック機能も装備。季語や切れが一個あるか、五七五であるかなどをチェックし、適合しないものをはじきます。その成果は、写真を見せて俳句を詠む、というものです。
ならば、この応用で連歌生成AIというのもできるはず。まずは宗匠の役割を担うAIを。その名称は多分、「AI宗祇くん」かと。次に連歌を詠むそれぞれ個性を持たせたAIを5、6体ほど(武士の他、貴族とか僧侶とか)。なんかこれ、小松左京の未完の小説「虚無回廊」の主人公のようです。この小説の設定では、宇宙探査に行くために、人工的な自分のコピーを作り、それに専門の異なる6名の仮想キャラクターAIを載せるというものですが、そのAIの中には多様性をもたせるために女性キャラクターというものも入っていて。ん、待てよ、ということはAIにも性別が。確か、江戸時代には女性の連歌師もいたけれど、いや、ここは性別不詳(いわゆるQ)が正解なのか、悩ましいところではあります。
◇ AIの学習環境のお話
手塚治虫の漫画でも、そのストーリーとキャラクターを読み込ませ、新たな作品が創作されたりしています。過日、報道がなされていましたが、「ブラックジャック」の創作もなされており、手塚眞氏は「ブラック・ジャックは200話以上あり、作品数が多い。そのなかでも物語が絡んでいる。これも研究には有効ではないか。それと手塚治虫らしさ、作家の個性もはっきりしている。作家を分析する上ではいい材料になる」とコメントしています。そうなんです。まずはしっかりした学習データが豊富にないとAIは創作できないんです。最上義光が関係する連歌だったら、データはそこそこありますよぉ。どうでしょう、誰か。
一方、某印刷株式会社が、古文書などのくずし字をスマホで撮影し、解読できるAI−OCRアプリ「古文書カメラ」の配信を始めています。くずし字には、手書きのもの(書簡や証文、日記などの古文書)と木版印刷物(版本や錦絵など)があり、それぞれに文字の形や使われている字種が異なるのですが、いずれにも対応しているとのこと。解読したデータは、ユーザーが修正しデータとして蓄積することでAIの精度向上に役立てているそうで、学習データが多いことはやはり重要です。
ちなみに、国立国会図書館とか京都大学図書館などでは、多数の古文書のデジタルアーカイブを公開していて、誰でもネットで閲覧できます。例えば慶長年間に発刊された「源氏物語」には木版活字が使用され、「伊勢物語」には各頁に版木のイラストがついているなど、最上義光が手に取ったかもしれない書物を手軽にみることができます。当館でもそのうち古文書のデジタルアーカイブ化をやらなくては、とは思ってはいるのですが、そのうちということで、すみません。
◇ 連歌に由来する慣用句の話
連歌に由来する慣用句として、「花を持たせる」、「月並み」、「挙句のはて」を紹介しました。さらには「二の句が継げない」という慣用句も関係ありそうではありますが、実は全く無関係です。こちらは宮廷歌謡の「朗詠」に由来しています。「朗詠」は、全部で3段から構成されており、真ん中の段を「二の句」と呼びます。二の句では、音の高さを上げるのですが、高音で歌うのが難く言葉が出ないことから「二の句が継げない」といったそうです。
「二の句が継げない」とは、相手の発言に驚き、呆れを感じた場合に用います。 なので、謙遜するつもりで、発句の次に「二の句が継げない」などと言おうものなら、発句に対して、呆れてものが言えない、という意味になってしまい、とんでもないことになってしまいます。
さらに「二の句が継げない」と似た慣用句に「二の矢が継げない」があります。「次にとる手段や手立てがない」ことを表します。つまり、「手詰まりの状態」ということなので、連歌の場合はこちらが適当かも。それはそうとして、一人で「三の矢も四の矢も用意しました」などと言う人もいるかもしれませんが、連歌では無意味です。一人で連歌を続けるのであれば別ですが。「ぼっち連歌」とでも名付けましょうか。