▼館長裏日記 令和6年1月11日付け2021/01/11 17:15 (C) 最上義光歴史館
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辞世の句とは別に、生死に関わる言葉としては、アインシュタインの「死とはモーツァルトが聴けなくなることだ」から、アンネ・フランクの「私は、死んだ後でも生き続けたい」まで、本当にいろいろあり、他の言葉はネットでも検索いただくとして、さらに検索を続けると「死んだつもりで生きる」という言葉も出てきて、こうなると結構重い話がぶらさがります。
それに並んで「死んだ者勝ち」とか「死んだ者負け」とかいう言葉も出てきますが、そこにはもう、かなり深刻な相談ごとが出てきます。こういうのを前にすると、うかつなことは言えなくなるのですが、そもそも人の生き死にを勝負事のように表すこと自体いかがなものか、とは思います。
また別に「死ぬ者の損」とか「死ぬ者貧乏」とかいう損得に絡める表現があり、「死ねば死に損、生くれば生き得」ということわざもあります。最近では「生きてるだけで丸儲け」というお笑い怪獣と言われる師匠の言葉が有名で、このくらい振り切れれば、なんか死なないような気にもなります。一方では「命長ければ恥多し」ということわざもあるのですが。
個人的に好きな辞世の句は、十返舎一九の「この世をば どりゃお暇(いとま)に 線香の 煙とともに 灰(はい)左様なら」というものですが、なんともシャレていて、かくありたいと思います。しかも周りを驚かすために、棺桶に花火を入れたとも伝えられます。まあ、さすがにそこまで真似ることはできませんが。
■ 墓マイラーの話
命日というとお墓参りの話がついて回るのですが、命日などとは関係なく、有名人の墓参りを趣味としている方々もいて、最近はこれを墓マイラーと呼ぶのだそうです。
ネット情報で恐縮ですが「ウィキペディア」の「墓めぐり」という項目には、「近世後期以降の日本では、宗教や信仰上の動機とは別に、故人の墓を訪問してその人を偲び、歴史に思いを馳せることが文化として定着した。この一連の行為は「掃苔」と呼ばれ、趣味やライフワークとして掃苔を行う人々である「掃苔家」が、近代を経て現代にも存在している。掃苔の字義は墓石に生じた苔を掃(はら)うことだが、転じて墓参りを意味するようになり、お盆前の墓参を指す秋の季語にもなった。」とあります。勉強になりました。ちなみに、掃苔家として著名な人物ないし掃苔趣味での業績がある人物として森鴎外の名が挙げられています。
また、主な戦国武将の供養をしたいときには、高野山の奥之院参道に行けば、最上義光やその後継の家親の五輪塔をはじめ、伊達政宗、上杉謙信、武田信玄、織田信長、豊臣秀吉などの墓や供養塔を一気にお参りできます。それぞれのお墓について墓守している方がきっといるとは思うのですが、やはり苔むしているお墓もあります。著名な武将の墓には、途中で案内板が出されていたりしますが、約20万基もの墓が並んでいるそうで、あらかじめどこにあるかを確認してから行くことをお勧めします。なお、著名企業のお墓というのも数多くあり、その形には驚くものもあります。
外国の墓めぐりでは、歴史上の著名人の墓のデータベースや著名人の墓を見つけるアプリが公開されています。確かに海外旅行に行くと、有名音楽家や画家の墓を訪ねたりすることも少なくなく、教会では床に埋められた墓を案内される場合もあります。このあたりは、あの地球の歩き方シリーズで「世界のすごい墓」というのが昨年出版されていますのでそちらもご参照を。また、「一般社団法人全国優良石材店の会」のホームページには「有名人のお墓」というサイトがあり、なぜか外国のお墓だけの詳しい説明が写真とともに掲載されています。これを見ると、ココ・シャネルの墓はただただ白い花が一面に並ぶ華憐な墓地で、対照的にゴッホの墓は弟テオに墓に寄り添うように緑に囲まれ並んでいます。
さて、お墓参りで思い出すのが、「私のぉ〜、お墓のま〜えで」というあの歌ですが、これは作者不詳の英語の詩「A Thousand Winds」をもとに、芥川賞作家の新井満さんが翻訳、作曲、歌唱(売れたのは秋川雅史歌唱)したものです。しかし彼は、実は墓マイラーでして、「お墓参りは楽しい」という本まで執筆されています。
余談ですが、新井満は1976年に、森敦の芥川賞受賞作「月山」を歌詞にして曲をつけ、「組曲月山」というレコードを出しています。山形では以前、この中の曲がテレビCMの合間に流れていました。物語は、放浪者の「私」が訪ねた湯殿山注連寺で、寺男のじさまと二人きりで厳冬期を暮らすというものですが、なかなか不気味な話も多く、しかも方言が活字になると、かなりがちゃがちゃした印象です。これが「組曲月山」では、なんとも美しくも楽しい曲になっています。実はこのLPレコードを持っていて、これはこれで気分がでるのですが、ネットでも手軽に聴くことができます。是非ご一聴を。
最後にお墓参りのマナーを。宗派によって線香の本数が違う、腐るような供物は持ち帰る、墓が傷むので酒はぶっかけない、とのことです。水を掛けそのまま帰る、たわしなどの固いものでこする、ということはやってはいけないらしいのですが、私の先祖の墓があるお寺には、たわしがバケツ満杯で置いてあります。